メンヘラのあり方。

メンヘラについて一言で表すことは簡単なことではないだろうけど、私は昔、メンヘラと呼ばれる人間だった。

始まりは、リビングの隣の寝室で布団にくるまって「学校に行きたくない」と泣いた時だった。次の日からまともに学校に通わなくなった。通えなくなった。中学三年生の5月頃であったと思う。

きっかけなんてもっと覚えていない。元々小さいころから学校は嫌いだったからそのせいかもしれないし、サボって寝てた時に聞こえた、大好きな友達から発せられた自分の悪口だったかもしれないし、はたまた、無理なダイエットのせいだったかもしれない。若しくはその全部が折り合わさって不協和音を奏でたせいかもしれない。

今でも鮮明に思い出せることといえば、いつもは温厚で声を荒げない父が泣いている私を怒鳴りちらしてタンスを壊したことと、普段は芯の通った強い人であったはずの母が声を上げて泣いていたことだ。それくらいの記憶しか、私にはもうない。多くのことを私は忘れてしまった。それは自分を守るためであったし、加えて、そんな家族を守るためでもあった。

毎日意味が分からなくなるほど泣いて、腕も切ったし拒食も過食嘔吐も繰り返した。別に、誰かにこの痛みがどれくらいのものなのかを分かってほしかったわけでもなかったと思う。ただ、真っ当に生きる道をそれてしまった自分に背徳感を感じて、それをより累加させて増幅させてみたかった。

 

メンヘラと呼ばれる人間には2種類あって、構ってちゃんメンヘラと本物のメンヘラ。前者はきっと極度の寂しがりやだったり、コミュニケーションの資質が乏しくて変なループに陥る自己嫌悪タイプなんだと思う。後者は一般的にボーダーって言われたりする境界性パーソナリティ障害だったり鬱病だったりするんだろう。もうこれは意思とは関係なく自傷したり短期記憶喪失してしまったりパニックになってしまったりする人々。

 苦しんでいるのはきっとどちらも同じで、寂しいのも構ってもらえないのも当然辛いし、訳の分からない病気で生活が上手くいかないのも辛い。どっちかが悪いとか甘いとかそういう話でもないことはきっと、本人達も分かってるんだろう。

 

 

メンヘラであることは悪いことではない、と私は思う。悪いことではないし、それについて誰かに侵害される必要もない。ただ、理解はしがたい。ストレスはやっぱり一般的な倫理観から外れない方法で発散することだ。腕を切るのも、おいしいご飯を吐き戻すのも、不特定多数とセックスをするのも、最終的には虚無感しか残らない。これじゃ無限ループだよ。元メンへラが言うんだからこれはまあ、間違いないよ。

 もっと言えば、メンヘラを克服できた人は素晴らしく素敵だ。残ってしまった心と体の傷跡なんてものともせずに笑ってる人間はこの世にたくさんいる。彼らがどんなきっかけでそうなれたかは分からないけれど、きっと何か幸せな出会いがそこにはあったのだと思う。私もその一人であると思ってるし、そうなれたことを誇りに思う。

 誰しも「メンヘラ」に偏る要素は持ってるし、それを流れ出させるきっかけなんて些細なものだ。そうなってしまった時、たぶん死ぬほどつらいと思う。わけもわからず、つらいと思う。


でも、悪くないよ。メンヘラ。鋭利な精神は心地いい環境から生まれることはないって何かの本に書いてあったし、それを糧にしていけるようになれたら割と未来は明るいよ。

メンヘラやってた人間が言ってるんだから、本当だよ。