生活

文章は読んでないと読めなくなるし、書いてないと書けなくなる。そんな話をしたから、久しぶりに近況と思うことを書く。(近況といっても、そもそもここは日常を書き綴る場所ではないのだが)

しかし全くと言っていいほどまとまらない…。Twitterというツールが幅を利かせているせいで推敲せずに所見を発信できてしまうせいだ、きっと。私が能動的でなくなったわけじゃないと思う、思いたい。。。

 

環境は変わってないけれど、自分自身はここ最近少し変わったと思える。

半年くらい、断捨離を続けてきて少しずつ身の回りが整理されてきた。物だけじゃなくて、人間関係も。大事に大事にしまってきて誰にも触られたくなくて思い出すだけで泣き出しそうになるものも、久しぶりに取り出してみれば、どうしてこんなもの、こんな奥底にしまっておいたのだろうと鼻で笑ってしまうようなことすらある。時間がもたらす作用というのはすさまじく、遅かれ早かれ多くのことは時間が解決する。ただ時が過ぎて風化していくのを待つだけでなくても、新しい土も積み重なっていく。そうして大体のことは忘れていく、後はもう捨ててしまったって、無い胸も痛まない。もちろんその中で、忘れられないものも捨てられないものも少なくはないけどね。それすらもきっと、いつの間にか、時間や新しいものたちによって忘れていく。だから大切にするべきものは今あるものなんだろうな。なんだか安いJ-POPみたいだけれど。

 

それから、一眼レフを譲り受けて始めた。私にはクリエイティブな才能が全く備わっていないので、大したものは撮れないのだけれど、楽しい。彼氏や友人たちといろいろな場所に行って、写真を撮る。目的地へ向かう道程もすごく好きだ。カメラを持つことでいろいろな場所に行くようになったし、カメラを通じてまったく関わることのなかった人たちとも接する機会ができた。今まで無趣味であった人生がどうしようもなくもったいないと思えるほど、趣味をもつということは良い。

多くは、私の好きな人たちを撮っている。好きな人だからこそ、上手く撮れたり、その人らしい写真が撮れたりしたら嬉しい。逆に言えば、上手くいかなかったときはものすごいヘコんで、やっぱり私には向いてないし、もっと才能のある人が撮った方が被写体も幸せなのでは?と投げやりになる。ただそれでも、写真を撮りたい上手くなりたいという気持ちは残るので、気負いせず続けていけたらいいな。

また、彼らを撮るだけじゃなくて撮ってもらうことも多くて、それは幸せなことだと感じる。なにか、誰かに、感じさせることがあって考えさせることがあって、一枚の写真に存在できることは嬉しい。

 

ダラっと変化のある近況を書いてみたけど、反面で全く変わらないものもある。カフェオレの飲みすぎで血糖値が高いこととか、お酒を飲みすぎてどうやって帰ってきたか分からないこととか、大事な話をするときいつもうまく喋れないことや、考え事をするときにいつも行く秘密の公園。一番大切にしている友人も、変わらず隣にいる。

 

あとは、相変わらずヒモが欲しいこと。

 

 

結局何が言いたいのかわからなくなってしまって、尻すぼみである。やはり日常的に感情をアウトプットする癖をつけなきゃいけないね…。

 

思い悩むことがなくなったわけではないけれど、ここ最近の生活は滑らかだ。有りがたい。